中森明菜さん BBS

8167
明菜さんについて楽しく情報共有・意見交換していきましょう!
名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
文字色
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

『雪の花~White X'mas~』のメッセージに癒された私 higasi

2018/05/31 (Thu) 01:33:53

【『哀しさを断ち切れない〈純粋な心の病気〉』に襲われたら・・・~『雪の花~White X'mas~』のメッセージに癒された私~】


●プロローグ

しばらくの間
愚痴を告白しますけれども
明菜ファンに免じて
どうか御容赦のほど

さて
私は
この頃
自分と同じ世代の人達が
黄泉の国に召されるニュースを
数多く体験するにつれて
それが
不治の病ゆえに
寿命だとは知りつつも
『哀しさを断ち切れない〈純粋な心の病気〉に陥っている自分』を
感じる日々が多くなりました

『哀しさを断ち切れない〈純粋な心の病気〉』に襲われて
『刹那の快楽を食べたくなる自分』は 
つくづく 嫌になります


確かに
「純粋」は
この世で
ひとつの病気

「純粋」は
自分を滅ぼす「病気」

●『雪の花~White X'mas~』のメッセージに癒された私

さて
『哀しさを断ち切れない〈純粋な心の病気〉に陥っている自分』のまま
ベットのなかで眠っていると
ある日突然に
自分の夢の中で
私に向かって
明菜が歌う『雪の花~White X'mas~』が 舞い降りてきたのです
こんな話を信じる人は
ほとんどいないと思います
こんな事は
私にとって日常茶飯事です

自分の気持ちを
浄化したいと云う欲求を持ち続けて
ベットのなかで眠っていると
ある日突然に
自分の夢の中で
私に向かって
明菜が歌う『雪の花~White X'mas~』が 舞い降りてきたのです

眠っている夢の中では
感受性の扉が
全開になっているからだと思います
日々の暮らしの中では
さまざま状況の 
さまざまな制約があって
感受性の扉が
全開になることはないからです


ところで
私は
夢の中で
明菜が歌う『雪の花~White X'mas~』から
以下のようなーメッセージーを感じ取りました

ー雪の花が
 夜空から舞い落ちるクリスマスには
 剝(む)きだした魂の激しさが
 哀しくなるのです

 私の躰さえも
 宇宙のカケラだから
 広すぎる闇の中で
 不安になって 切なくなって
 貴方を愛しすぎるの~

 強く抱いて
 優しく包み込むように・・・
 強く抱いて
 私の激しさを 柔らかく許すように・・・

 剥(む)きだした魂の〝けなげさ”から
 いとしい気持ちなって        
 互いに触れる頬の 温もりが 
 命を輝かすの~

 何が起きても
 過去は なぜ明日(あす)を捜すの?
 人は
 心をつなぐ笑顔を どこで見つけたの?
 互いに触れ合う頬の温もりが
 命を輝かすの~

 雪の花が
 夜空から舞い落ちるクリスマスには
 世界中が 愛の唄で溢れるように 
 祈りつづけていますー

さて
明菜が歌う『雪の花~White X'mas~』のメッセージに癒された私は・・・

ー純粋は
 この世で 
 ひとつの病気であっても・・・
 生きてる実感に飢える日は
 明菜が歌う『雪の花~White X'mas~』を聴けば良い
 『哀しさを断ち切れない〈純粋な心の病気〉』に 襲われたら
 明菜が歌う『雪の花~White X'mas~』を聴けば良いー

・・・さて皆様は どんな風に感じ取っていますか?・・・

全く想像もしなかった代議士が浮かびあがった。 - うさぎ777

2018/05/30 (Wed) 06:26:30

全く想像もしなかった代議士が浮かびあがった。

http://music.geocities.jp/jphope21/0204/44/290.html

みんなの党籍だった「浅尾慶一郎」がその代議士だった。

( http://sky.geocities.jp/datepedia/02/update.html )

( http://music.geocities.jp/jphope21/0104/41/271.html )

( http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0202/p001.html )

( http://park.geocities.jp/j_con4/0104/p042.html )

( 個人的意見 )

明菜デビュー5月1日を《*記念》して書き綴る higasi

2018/04/30 (Mon) 11:03:30

[明菜デビュー5月1日を《*記念》して書き綴る]~《作詞家・来生(きすぎ)えつこさんのグットストーリー》&『セカンド・ラブ』のレビュ―~↓

●プロローグ

明菜は 1982年、5月1日にシングル「スローモーション」でデビューしました。
これを《*記念》して
『スローモーション』や『セカンド・ラブ』の歌詞にまつわる《作詞家・来生(きすぎ)えつこさんのグットストーリー》を掲載し 併せて 私は 『セカンド・ラブ』のレビュ―を書き綴りたくなったのです。
ちなみに
上述の《*記念》とは 過去の出来事への思いを新たにし、何かをすること。

すなわち
いま
私は
《明菜が 1982年、5月1日にシングル「スローモーション」でデビューした》と云う《過去の出来事への思い》を新たにし
【『スローモーション』や『セカンド・ラブ』の歌詞にまつわる《作詞家・来生(きすぎ)えつこさんのグットストーリー》】を掲載し
併せて 『セカンド・ラブ』のレビュ―を書き綴ろうとしています。

Ⅰ:【10時のグットストーリー(FM93・AM1242・ニッポン放送)八木亜希子 LOVE&MELODY 2016年12月17日(土) より抜粋↓ 】

リクエストの多かった中森明菜さんの『セカンド・ラブ』の歌詞にまつわるグットストーリーを、作詞した来生えつこさんに伺いました。(私の注記:『スローモーション』の歌詞にまつわるグットストーリーも含まれています)

1982年5月に発売された『スローモーション』。当時16歳だった中森明菜さんのデビュー曲です。
その作詞を手掛けたのが、来生(きすぎ)えつこさん。弟のシンガーソングライター・来生たかおさんとのコンビで、76年に作詞家としてデビューした来生さんは、81年、大橋純子さんに書いた『シルエット・ロマンス』がロングヒットとなり、注目を浴びていました。

「レコード会社のディレクターが『歌の上手い子だから、難しい曲でも大丈夫』と言うので、たかおも私も、力を入れて書きました」と言う来生さん。『スローモーション』の歌詞の中に、

「ストライド 長い脚先(あしさき)ゆっくりよぎってく」

というフレーズが出てきます。
ストライドとは「歩幅」を意味する陸上用語ですが、マラソン中継を見ていて、偶然この言葉を耳にした来生さんは、いつか「ストライド」を歌詞に使おうと、メモしていたのです。

「歌詞というのは、使いたい言葉やフレーズがあって書くものなんです」という来生さん。
明菜さんは『スローモーション』を、新人離れした歌唱力で見事に歌いこなし、評判を呼びました。

ただし『スローモーション』のセールスは、オリコン最高30位。
「もう一押し、大ヒットになる第2弾を」ということで、弟のたかおさんがレコード会社と打ち合わせをしたとき、たまたま聴かせたストックの曲に、ディレクターが反応しました。「これ、いい曲ですね!明菜にもらえませんか?」

まだ歌詞が付いていなかったその曲、実は『シルエット・ロマンス』の続編の依頼が来ると思い、大橋純子さんを想定して書いた曲でした。しかし発注が来ず、お蔵入りしていたのです。改めて陽の目を見ることになったその曲に、詞を付けることになった来生えつこさん。

「大橋さんが歌うなら 大人の女性になりますけど、明菜さんは10代でしたから。“まだ恋をよく知らない女の子”というイメージで、詞を書きました」

そのとき来生さんの頭に、ある思い出が甦ってきました。来生さんが二十歳ぐらいの頃、同年代の男性と、何となく惹かれあうようになり、デートを重ねたことがあったのです。

「でも、その人になかなか『好き』と言い出せなくて… 一緒に歩いていたとき、彼のセーターの袖口を、そっとつまんでみたくなったんです」

「好き」という、その一言が言えないもどかしさ…そんな思いが、『セカンド・ラブ』のフレーズになりました。

「あなたのセーター 袖口つまんで うつむくだけなんて」

その彼とは、結局自然消滅になったそうですが、その時のことがずっと記憶に残り、「このフレーズを、どうしても使いたかったんです」という来生さん。
曲を渡された明菜さんは、繊細な女性心理を書いた詞と、美しいメロディに感動するあまり「私が歌ってもいいんだろうか?ヒットしなかったらどうしよう?」と不安に思ったそうです。
こんな大人の歌詞が、自分に表現できるんだろうか…当時17歳の明菜さんは、戸惑いながらも、自分なりの解釈で、この曲をレコーディング。

82年11月、『セカンド・ラブ』はデビュー第3弾シングルとして発売され、明菜さんは大切に大切に、心を込めてこの曲を歌っていきました。それが聴く人の心に刺さり、明菜さんは初のチャート1位に輝いたのです。
ある歌番組でこの曲を歌った際、思うように声が出ず、歌い終えて悔し涙を流したこともあった明菜さん。この曲は、明菜さんにとって かけがえのない曲になり、以後も代表曲として、コンサートで歌い続けていきました。

「抱きあげて 時間ごと からだごと 私をさらってほしい せつなさがクロスする さよならに 追いかけられるのイヤよ…」

Ⅱ:『セカンド・ラブ』:1982年と1995年TRUE LIVEの歌唱比較

❶歌っている音域

1982年当時においては 1995年TRUE LIVEの音域よりも高めに歌っています。
1982年当時においては 1995年TRUE LIVEよりも 高めの音域の歌声が 突き抜けて響いています。
しかし 低めの音域の歌声は 1995年TRUE LIVE当時の方が 突き抜けて響いています。
1995年TRUE LIVE当時においては 1982年当時よりも 高音域を少し下げて歌っていますが
1995年TRUE LIVE当時においては 1982年当時よりも 低めの音域の歌声が 突き抜けて響いていますので
唄全体のバランスは崩れていません。
それどころか
1995年TRUE LIVEの歌声の表現力は
きめ細かくなり 情感表現に深さがあって
以下❸のような感動が感じ取れます。

❷1982年当時の情感表現

17歳・少女特有の《純粋で 清らかな かわいさ》の中で
明菜が歌う『セカンド・ラブ』の情感表現は
俗に言う純真な乙女風の表現もありましたが
そんな表現だけではなく
《切なさ・哀愁・もどかしい求愛・もどかしい渇愛》のなかで

ー抱きあげて つれてって 時間ごと
どこかへ 運んでほしいー
ー抱きあげて 時間ごと 体ごと
私をさらってほしいー

と《大胆で激しい求愛のコトバ》を歌うとき
《胸に訴え掛ける直情的な情念の炎》さえも感じ取れるので
ここに
《明菜が情念の歌手である》と云う出発点を感じ取っています

❸1995年TRUE LIVEの情感表現

《切なさ・哀愁・もどかしい求愛・もどかしい渇愛》のなかで
特に
ー抱きあげて つれてって 時間ごと
どこかへ 運んでほしいー
ー抱きあげて 時間ごと 体ごと
私をさらってほしいー
と《大胆で激しい求愛のコトバ》を
「訴える」ように歌うとき
《胸に訴え掛ける直情的な情念の炎》が感じ取れます

この唄全体は
「訴える」ように
歌っています
ただし
「訴える」言葉や声に
メロディーやリズムを乗せて歌います
メロディーやリズムに乗せて歌う唄に
限りない情感表現《=「切なさ・哀愁・もどかしい求愛・もどかしい渇愛」から 「大胆で激しい求愛」へと向かう「直情的な情念」の「うねり」》があって
歌声に《*倍音》も乗り
ウィスパーボイスwhisper voice〘=発声においてささやき声(whisper)・もしくはささやきに近い息漏れ声(breathy voice)〙も取り入れて
微妙な声の揺れ、息吹、かすれ等も上手く使って、
情感豊かに表現しているのです

(この文脈の関係上
理解をして欲しいので
以下
あえて再述した箇所があることを
御容赦のほど・・・)

『セカンド・ラブ』の歌い方は
かなり息っぽいので
声帯は
あまり閉鎖していませんが、
時にハスキーっぽく 《明菜の個性が際立っている声》が聴こえます。
ハスキーとは言えない程度ですが、《*ほんのりハスキー》です。

*明菜のhusky voiceは
重いhusky voiceではなく
ほんのりとした軽めのhusky voiceです
ちょっとかすれた声質です

歌声は 地声を活かした非常に息の多い発声。
息が多いと その分だけ声に《*倍音》が乗り、聴く人に心地よい感覚を与えます。
また、声も よく響きます。
鼻腔共鳴も強く
綺麗に 声が上方向に抜けるので、
綺麗な響きの声になっています。

歌声は明るい性質をしているのですが、
特に
バラード系の唄を歌うとき
口をあんまり開けずに歌うため、
この響きが 寂しさを感じたりするのです。
口をあんまり開けずに歌うため、
言葉をさり気なく そーっと置いていくように歌っていくタイプ。
言葉をさり気なく そーっと置いていくと言っても やわらかで優しい声が響きます。
この響きが 寂しさや優しさを感じたりするのです。

ビブラートは ナチュラルに かかっています。

そもそも
《*倍音》とは・・・
鳴っている音以外の、人の耳には聞きとれない音。
倍音がどう鳴っているかで 《声質の音色》が変わります。
倍音が多い声は 明るく響き
倍音が少ない声は 丸くぼやっとした《こもった声》になります。
共鳴は 倍音の量によって決まり
美しく豊かな声は 倍音が多いと言われています。

歌の場合は体が楽器ですから
倍音を出すには 体のある部分の「空間」を使って響かせます。
声を出せば、まず声帯が振動しますよね。
振動で生じた音を 口の中や喉、鼻腔などで共鳴させます。
共鳴すると 倍音が生まれます。

《倍音発声》は 発声する本人も 聴く人も 心地よく癒されます。
《倍音発声》は 究極の《癒しの声》だと思います。

ここで歌ってる《明菜の声質》には
《倍音発声》が溢れているので
明菜が歌ってるときに
私が
癒されている訳です

さて
明菜は歌っている最中で
歌詞に潜む『情念や感情の差異』を
歌詞のフレーズごとに読み解き
その顔の表情、その一挙手一投足、その舞う姿で演じながら
更に又
歌詞に潜む『情念や感情の差異』を
『歌唱法の差異』で表現することによって
観客に訴えつづけます

さらにまた
明菜の歌う唄には
《倍音発声》が溢れているので
細かい息遣いや声の震えなども
聴き取れるのです

【 心の中の明菜物語(その4)後篇(Ⅲ~Ⅴ)】 higasi

2018/04/26 (Thu) 17:51:20


【 心の中の明菜物語(その4)後篇(Ⅲ~Ⅴ)】~トランスパーソナル心理学(transpersonal psychology)で把握した《声質の魅力》&明菜について 大本恭敬氏が語る&心のストレスを癒すものとして 音楽の効用を見直せ~

Ⅲ:以下の文面では
【トランスパーソナル心理学⇒《transpersonal psychology》超個心理学。米国で広がっている新しい心理学。❶医学は躰、❷心理学は心、❸宗教は魂を扱うが、この心理学は、これら❶❷❸の三要素を統合して 《人間の全体像をとらえること》を目的とする。】を基盤にして 明菜の《声質の魅力》を述べます

そもそも
明菜が歌唱活動をする場合
自分の躰(上記❶の躰)を活用していて
同時に それが《素晴らしい歌姿》となり
唄の心(上記❷の心)を感じ取って
歌っていますが
そのとき
魂(上記❸の魂)の震えが
そのまま
歌声となって 伝わって来ることで
視聴してる私が感動しているのです

すなわち
明菜は
上述❶❷❸の三要素を統合して 
歌う唄の全体像を表現しているから
視聴してる観客を 感動させることが出来るのです

そもそも
歌詞・メロディー・リズムで表現される唄は
歌唱されることにより
生身の人間が訴える《感情やメッセージ》を通じて
《人間の全体像をとらえようとする試み》であると考えていますから・・・


Ⅳ:《デビュー当時の明菜》の「ボイストレーナー」であった大本恭敬氏は 明菜について 次のように語っていた↓

以下の内容は 週刊アサヒ芸能 2014年 8/14・21合併号によるものです↓(以下の内容を 御存知の方がいましたら 読み飛ばして下さい。)(私は 記録として ここに残しておきたい気持ちで 書き綴っていますから・・・思えば 私が 此処に色々と書き綴る理由の一つは 私の拙い足跡を ここに残しておきたいと云う欲求のためです。どうか御容赦のほど・・・)

《デビュー当時の明菜》の「ボイストレーナー」であった大本恭敬氏は 明菜について次のように語っていた。(ちなみに 大本恭敬氏は 日本で初めて「ボイストレーナー」という肩書を持った人である。)

「何でこの子が予選落ちだろうと不思議だったね。Mさんとの確執は聞いていたけど、絶対、通したほうがいいよって言ったんだ」ー日本で初めて「ボイストレーナー」という肩書を持った大本恭敬氏が振り返る。大本氏は「スタ誕」の地区予選でピアノ演奏をしながら、審査員も兼ねていた。有楽町・よみうりホールに現れた明菜は、大本氏をうならせるだけの歌声を持っていた。

「テレビに出る前の予選も何回か落ちているし、テレビ予選ではMさんの点数が厳しかったから 決戦へ進めなかった。ようやく3度目の挑戦で 最高得点を出して決戦に行けたんだから」

 デビューが決まると、恵比寿にある大本氏の自宅で1日置きのレッスン。1回につき30分から1時間程度のレッスンだったが、「明菜の器用さは強く印象に残っている」と 大本氏は云う。

「最初からうまかったよ。それと、いわゆるノドに引っかけて歌うクセがあるんだけど、それを『少女A』のサビの♪じれったい、じれったい‥‥のように、ピタッとキメにすることができた。自分で自分の武器を知っている子だったね」と 大本氏は云う。

 デビューしてからも 忙しいスケジュールの合間に 大本氏のもとへ向かう。大本氏が驚いたのは、豊島園で行われた歌謡ショーでのこと。特設ステージでは 歌手たちが次々と出番をこなすが、明菜の番になって激しい雨が降ってきた。

「ずぶ濡れになりながら、それでもステージの前までせり出して『帰らないで、私の歌を聴いて!』と体全体で訴えているような迫力があったね」

 デビュー4年目あたりから 「*明菜ビブラート」と呼ばれる歌唱法に変化した。これも大本氏に言わせれば、リスナーに対して「私の歌を聴いて」という“心のうねり”がもたらすものであるらしい。

ちなみに
私は
「*明菜ビブラートvibrato」を
《歌唱をする場合に 音の高さを ほんのわずかに 連続的に上下させながら 震えるような声質を出す技法である》と感じています。
技法的には このように捉えていますが 明菜の場合 この技法に 既述した明菜独自の『情念のうねり』が含まれているからこそ 「*明菜ビブラートvibrato」と呼ばれるのです。
『情念のうねり』は 私にとって 『歌う明菜の《まごころ》から溢れ出る〈情感の震え〉のうねり』であります。

 大本氏は同時期に小泉今日子のレッスンも担当していたが、同学年である2人のこんな場面を見た。

「明菜が『キョンキョンはさぁ』って話しかけてたんだけど、小泉のほうが1カ月半くらいデビューが早い。同い年でも、そういう口のきき方をしたらダメだって怒ったんだよ」

 明菜はプイッと横を向き、ふくれた表情をしていた。それでも、それから10年以上が過ぎ、深夜のゲイバーで偶然に再会すると、泣きながら大本氏のもとへ駆け寄ってきた。

「いろいろあって落ち込んでいた時期だったからね。僕は『負けるなよ』って励まして。あれが彼女に会った最後だった」

Ⅴ:心のストレスを癒すものとして 音楽の効用を見直すべきである。

❶現代社会は、「ストレス社会」(以下の内容は 精神科医の話です)

現代社会は、経済的に豊かになり、科学技術も高度に発達し、より便利で快適な生活が実現しているわけですが、「ストレス社会」ともいわれています。

ますます激しくなる競争社会、管理社会のなかで、現代人は多くのストレスを抱えており、それが原因で「こころの病」にかかる人が増えているのです。

現代人のこころの病の要因には、上述以外に、高齢化社会によって増えたストレスもあります。医学の進歩で平均寿命は長くなりましたが、高齢者には、孤独や家族との軋轢、死への不安といったこころの負担や種々の身体的障害がつきまといます。そのために精神的に支障が起きやすくなるのです。

また核家族化が進み、母子の密着の度合いも強くなり、子どものしつけも母親だけに任されるようになりました。それが、子どものこころの発達に複雑に影響を与え、青少年のこころの病を増やしているようです。


❷心のストレスを癒すものとして 音楽の効用を見直すべきである。

「感情」は「心」から生み出されるもの。その心はときには疲れたり、傷ついたりするもの。心が荒むと、健全に生きることができなくなってしまうのです。
音楽には 疲れたり傷ついたりした「心」を癒す力があります。
音楽は「耳」で聴くものなのですが、それを「美しい」と感じたりするのは 私たちの心です。

音楽のカタチは自由、楽しみ方も自由です。
心の栄養を補充するための音楽は、いつまでも私たちと共にあります。
そんな音楽があるからこそ、心が疲れるような仕事や困難な局面を乗りきれる。そのようなものなのです。
私たちは音楽に生かされているということもあるのです。

●私にとっては 明菜の歌う唄が 心を癒す音楽の一つになっています。 
私は最初クラシックを聴いていて 次はジャズ そしてフォークソングやボサノバやミュージカルや それから最後に明菜の歌と云うような音楽遍歴を持っています。 
ところで そんな音楽遍歴があるから 明菜の歌唱に クラシカルな要素・ジャズ的要素・フォーク的要素・もちろん歌謡曲的要素・ロック的要素・ボサノバ的要素・ダンスミュージック的要素・ミュージカル的要素・タンゴやフラメンコの要素など感じ取っていて 明菜の歌唱が 次に何を見せてくれるのか 楽しみであります。

【 心の中の明菜物語(その4)前篇(Ⅰ~Ⅱ)】 higasi

2018/04/23 (Mon) 15:23:40

【 心の中の明菜物語(その4)前篇(Ⅰ~Ⅱ)】~明菜の抒情性(リリシズム lyricism)&声質の魅力~

(かなりの長文になりますので 取り敢えず 前篇を掲載し 日を改めて 原稿でき次第 後篇を掲載します。後篇の内容は~トランスパーソナル心理学(transpersonal psychology)で把握した《声質の魅力》&明菜について 大本恭敬氏が語る&心のストレスを癒すものとして 音楽の効用を見直せ~となる予定です。もしも 私の命があり 気が変わらなければ 後篇を掲載します。天変地異は いつあるか予測出来ませんので かなり大袈裟な予告となりました。)

Ⅰ:今 めくるめく夢のなかに・・・

❶明菜が歌う唄の《抒情性(リリシズム lyricism)》には
《切なさ・哀愁・哀しみ・失った愛・取り戻せぬ愛・零れ落ちる愛・もどかしい求愛・もどかしい渇愛・愛の光・寄り添う愛・愛の吐息・愛の癒し 等の感情が入り乱れた胸に訴え掛ける直情的な深い情緒が伴うもの》が含まれています

上述の❶《抒情性(リリシズム lyricism)》は
歌う明菜の《まごころ》から溢れ出る情感になっていて
その『息遣い』や『溜め息』や『ささやき』 が
はかなくて 危うくて 美しくて
その『表情』や『眼差し』や『身のこなし』が
はかなくて 危うくて 美しくて
いま
めくるめく夢のなかに・・・

《まごころ》は 消えることがない
魂から 魂へと つながつてゆく
それが《まごころ》の姿

哀しさと寂しさを
ひとつひとつ癒してゆく明菜の歌姿は
はかなくて 危うくて 美しくて
いま
めくるめく夢のなかに・・・

Ⅱ:明菜の声質は 私の感覚を震わせて 心の奥に滲みこんで来る

地声の音域は
やや高めの音域。
息がかなり多く、話し声は息が先行して出ている感じの声。
かなり息っぽいので
声帯はあまり閉鎖していませんが、
時にハスキーっぽく 《明菜の個性が際立っている声》が聴こえます。
ハスキーとは言えない程度ですが、《*ほんのりハスキー》です。


  *明菜のhusky voiceは 
   重いhusky voiceではなく 
   ほんのりとした軽めのhusky voiceです 
   ちょっとかすれた声質です

歌声は 地声を活かした非常に息の多い発声。
息が多いと その分だけ声に《*倍音》が乗り、聴く人に心地よい感覚を与えます。
また、声も よく響きます。
鼻腔共鳴も強く
綺麗に 声が上方向に抜けるので、
綺麗な響きの声になっています。

歌声は明るい性質をしているのですが、
特に
バラード系の唄を歌うとき
口をあんまり開けずに歌うため、
この響きが 寂しさを感じたりするのです。
口をあんまり開けずに歌うため、
言葉をさり気なく そーっと置いていくように歌っていくタイプ。
言葉をさり気なく そーっと置いていくと言っても やわらかで優しい声が響きます。
この響きが 寂しさや優しさを感じたりするのです。

ビブラートは ナチュラルに かかっています。

そもそも
《*倍音》とは・・・
鳴っている音以外の、人の耳には聞きとれない音。
倍音がどう鳴っているかで 《声質の音色》が変わります。
倍音が多い声は 明るく響き
倍音が少ない声は 丸くぼやっとした《こもった声》になります。
共鳴は 倍音の量によって決まり
美しく豊かな声は 倍音が多いと言われています。

歌の場合は体が楽器ですから
倍音を出すには 体のある部分の「空間」を使って響かせます。
声を出せば、まず声帯が振動しますよね。
振動で生じた音を 口の中や喉、鼻腔などで共鳴させます。
共鳴すると 倍音が生まれます。

こういった倍音がしっかりと鳴っていると
人は心地よさを感じるそうです。

人を癒やしたり 感動を呼ぼうと思うなら
倍音を上手く活用する必要があると云われます

倍音発声は 発声する本人も 聴く人も 心地よく癒されます。
倍音発声は 究極の《癒しの声》だと思います。

明菜の声質には
倍音発声が溢れているので
明菜が歌う時
私が癒されている訳です

明菜は
特に
バラード系の唄を歌うとき
「語り掛ける」ように 歌います
ただし
語り掛ける言葉や声に
メロディーやリズムを乗せて歌います
メロディーやリズムに乗せて歌う唄に 限りない情感表現があって
歌声に《*倍音》も乗り 
ウィスパーボイスwhisper voice〘=発声においてささやき声(whisper)・もしくはささやきに近い息漏れ声(breathy voice)〙も取り入れて
微妙な声の揺れ、息吹、かすれ等も上手く使って、
情感豊かに表現できるのです

[『AL-MAUJ』 の《常識的レビュ―&独断的な解釈レビュー》]↓ higasi

2018/04/18 (Wed) 00:56:03

▼[『AL-MAUJ』 の《常識的レビュ―&独断的な解釈レビュー》]↓
〇プロローグ
 今まで
 『AL-MAUJ 』 のレビュ―については
 どうしても《別の視点からの解釈・独断的な解釈レビュー》が見つからず悩んでいましたが
 今になって 《別の視点からの解釈・独断的な解釈レビュー》が思い浮かんだので
 以下に書き綴る決心をしました
 いつもながら
 かなりの長文(かなり難解な長文)になりましたが
 お暇な折に 目を通して頂ければ 幸いです

Ⅰ:『AL-MAUJ 』 のレビュ― (⇒ 常識的レビュ―)& 蛇の解釈

ー夢一途に 愛されても
 恋無惨に 流されても
 わたし悪魔 わたし天使
 あなたのあいだで
 こ・こ・ろ ヒ・ラ・ヒ・ラ

 別にわたし 孤独なんか
 愛しちゃいない
 罪も罰も棘も蜜も
 咲かせたいだけ

 涙つなぐ まごころさえ
 見えないのなら
 喜劇の夜 悲劇の街
 うまく 泳ぐわー⇒一部抜粋です

こ・こ・ろ ヒ・ラ・ヒ・ラ~~~~~の感覚的コトバ。そして、「夢一途に 愛されても」と「恋無惨に 流されても」、「悪魔」と「天使」、「刹那」と「永遠」、「喜劇」と「悲劇」の対比が素晴らしい。

「喜劇の夜 悲劇の街 上手く泳ぐわ」のところで キリッと天を仰ぐ明菜の目線とか、手の動きとか本当に素晴らしい。

発表当時 蛇の気味悪さが色々と云われ 当時の一般大衆の印象は 芳しくなかったと云う記事が見受けられる。私の独断的推測では むしろ 今だったら 逆に好評価になるとさえ思う。その頃とくらべれば 少なくとも 感じ方は多様化してると思うから・・・・これは甘い見方かな?

【蛇が気味悪いと云う見解に反対する根拠】⇒上述の内容に関心があり 理解不明と感じられた方々は
目を通して頂ければ 幸いです。
《蛇の解釈》を述べます↓

蛇⇒四肢を持たない長い体や毒をもつこと、脱皮をすることから「死と再生」を連想させること、長い間餌を食べなくても生きている生命力・・・・古より「生と死の象徴」「豊穣の象徴」「神の使い」などとして各地でヘビを崇める風習が発生した。白ヘビは幸運の象徴とされ 特に岩国のシロヘビは有名である。

蛇⇒古来、世界的に信仰の対象であった。各地の原始信仰では、ヘビは大地母神の象徴として結びつけられた。山野に棲み、ネズミなどの害獣を獲物とし、また脱皮を行うヘビは、豊穣と多産と永遠の生命力の象徴でもあった。

蛇⇒ギリシャ神話においても ヘビは生命力の象徴である。《杖に1匹のヘビ(クスシヘビ 薬師蛇、Zamenis longissimus とされる)が巻きついたモチーフ》は 「アスクレピオスの杖」と呼ばれ、欧米では医療・医学を象徴し、世界保健機関のマークにもなっている。

Ⅱ:『AL-MAUJ 』 の《独断的な解釈レビュー》

『AL-MAUJ 』 の唄のなかの《女主人公》の心身は
《恋愛世界》に陥っていて
かつまた 《女主人公》の心身が陥ってる《恋愛世界》 を見れば・・・
《恋愛世界》の《①恍惚状態》が
《❶変性意識状態⇒強い至福感などを伴い、この体験は時に人の世界観を一変させるほどの強烈なもの》を引き起こし
更に又《①恍惚状態》と《❶変性意識状態⇒強い至福感などを伴い、この体験は時に人の世界観を一変させるほどの強烈なもの》とが 
『AL-MAUJ 』の唄のなかの《女主人公》の心身へ《③ possession(憑依)》している状態であります

『AL-MAUJ 』を歌う明菜自身の心身にも
上述のようなプロセスで
唄のなかの《女主人公》の《①恍惚状態》と《❶変性意識状態》とが《③ possession(憑依)》していて
歌姫明菜の歌唱と歌姿は 
はかなくて 危うくて 美しくて
魂の震えが そのまま歌声となっているし
同性の視点でしか迫ることができないような細やかな感情の機微を
女優的表現と 歌唱法の差異で表現しているのです

↑【上述の内容で使用するコトバについて】⇒上述の内容に関心があり 理解不明と感じられた方々は
目を通して頂ければ 幸いです。
上述のⅡの内容については
●【トランスパーソナル心理学⇒《transpersonal psychology》超個心理学。米国で広がっている新しい心理学。医学は体、心理学は心、宗教は魂を扱うが、この心理学は、これら三者を統合して人間の全体像をとらえることを目的とする。】を基盤にして
『AL-MAUJ 』 のレビュ―を述べています。
ちなみに 
トランスパーソナル心理学《transpersonal psychology》では 下記❷トランスtrance状態を、人間に肯定的な効果をもたらすものとして研究する。

上述Ⅱのレビューで使用される特殊なコトバについて 説明しておきます。
私は これによって 理解が深まることを 期待するからです。

❶変性意識状態=日常的な意識状態以外の意識状態=変性意識状態は「宇宙」との一体感、全知全能感、強い至福感などを伴い、この体験は時に人の世界観を一変させるほどの強烈なものと言われる。⇒❷トランス状態は変性意識状態の一種であり、その代表的なものである

❷トランスtrance状態=通常とは異なった意識状態、つまり変性意識状態の一種であり、その代表的なものである。入神状態と呼ばれることも、脱魂状態や《①恍惚状態》と呼ばれることもある。リハビリテーション、教育、スポーツ などの幅広い領域へと応用されている。

(文化人類学などによる宗教研究では しばしば“シャーマン”という言葉・概念によって宗教的ものごとを分類・説明しており) シャーマンのトランスには、霊魂が身体から離れて異界に移動し神や霊と接触する 《②ecstasy(エクスタシー、脱魂)型》と、反対に神や霊などの超自然的存在がシャーマンを訪れる《③ possession(ポゼッション、憑依)型》の2種類があると言われている。

羽仁礼は、トランス状態というのは、霊に憑依された時の霊媒や、心霊現象を起こしている時の霊媒などにみられることもあり、また人々が聖母マリアを目撃している最中(→聖母の出現)やイエス・キリストを目撃している最中なども この状態になる、と説明している。

トランス状態というのは 何も宗教的な場面だけに見られるわけではない。一例を挙げると、催眠療法というのは催眠を用いた心理療法であるが、一連の暗示操作によって覚醒レベルを下げて 被暗示性を高めた状態(変性意識状態、トランス状態)に導き 治療を行うものであり、《④トランス状態のもたらす緊張緩和効果》を利用している。

ちなみに
私が明菜worldに感動している状態を
上述の内容で分析すれば
ー歌姫明菜の歌唱と歌姿が 
 はかなくて 危うくて 美しくて
 魂の震えが そのまま歌声なっている事を感じて
 《感覚的・精神的①恍惚状態》を感じ取れる時間に感動しているー
と云う内容になると考えます

蛇足ながら
更に付け加えれば
明菜worldから受け取った《感覚的・精神的①恍惚状態》を
このような詩文に書き綴っている訳です

明菜worldから受け取った《感覚的・精神的①恍惚状態》を
そのままに放置しておけば
私自身の霊魂が身体から離れて
《感覚的・精神的①恍惚状態》にある異界に移動し
この現実世界に戻って来れない危うさがあるので
明菜worldから受け取った《感覚的・精神的①恍惚状態》を
このような詩文に書き綴ることによって
この現実世界に戻って来ることが出来ているのです

それゆえに
ここに集う明菜ファンの皆様
どうか
このような長い詩文で述べることを
御容赦ください
かなり支離滅裂な御願でスミマセン

なぜ 私は 《自分の心の中の明菜物語》を書き綴りたいのか(その3) higasi

2018/04/15 (Sun) 03:15:15


【なぜ 私は 《自分の心の中の明菜物語》を書き綴りたいのか(その3)~歌詞・歌姿からの感動の種類&《声量伝説》の亡霊を振り払え!~】

●プロローグ
明菜ファンの皆様 いかがお過ごしでしょうか?
以下いつものことながら かなり長文になりますが
お暇な折に 目を通して頂ければ 幸いです。

Ⅰ:歌詞・歌姿からの感動の種類

❶はかなくて 危うくて 美しくて 魂の震えが そのまま歌声となっている。⇒例えば 既にレビューで述べた 
『難破船』とか『予感』とか『赤い花』とか 《歌唱表現の深さ》に感動して 明菜の虜になっています。
❷歌姫と云う名の女優であり 歌姫と云う名の詩人である。(明菜がハンドマイクで歌うとき 左手の仕草が美しい・同性の視点でしか迫ることができないような細やかな感情の機微を 女優的表現と 歌唱法の差異で表現でする)⇒明菜がLIVEで歌う唄全てがそうです。LIVEで歌う唄でないと 明菜の女優的表現は見れません。LIVEで歌う唄でないと 明菜の《細やかな感情の表情》は見れません。
❸視聴者の閉ざされた感受性の扉を開いて 今まで感じなかった感動を発見させる。
ー私の場合
 例えば 『難破船』とか『予感』とか『赤い花』とか 《歌唱表現の深さ》に感動して 明菜の虜となり
 それからあと 《多種多彩な歌唱表現》や《多種多彩なメッセージ性》と云う《音楽性の広さ》によって いままでと違う分野の唄に出逢い 今まで感じなかった感動を発見します。
解りやすい例を挙げれば 
明菜の《カバーアルバム『Cage』》の中にある唄については
私にとって 殆ど聴かなかった唄でありましたが 
明菜の歌唱表現で 今まで感じなかった感動を味わった事です。
フォークソング世代である私にとって 懐かしいフォークソングも 明菜の歌唱表現で 
今まで感じなかった感動を発見しています。
そんなこともあって
明菜の虜になり 現在に至っています。

 《多種多彩な歌唱表現》や《多種多彩なメッセージ性》と云う《音楽性の広さ》は
 《多種多彩な作曲家・作詞家》によって 明菜の素晴らしい感受性が発揮されたためであると思っています。
 更に又《多種多彩な歌唱表現》や《多種多彩なメッセージ性》と云う《音楽性の広さ》は
 以下の(ⅰ)(ⅱ)に述べた《明菜の歌唱表現の原点》によって 明菜の素晴らしい感受性が発揮されたためであると思っています。(この場所で既に述べた事柄があると思いますが 私が把握した明菜の素晴らしさを伝えたくて 書き綴りました)

(ⅰ)SAY 2003.7 スペシャルインタビュー で明菜は次のように答えている。

 私、小さい頃から、歌は「演じるもの」だと思っていました。その気持はデビュー以来、 ずっと 変っていません。歌は3分間のドラマだから、私は歌に出てくる主人公を演じ切らなきゃいけないんだって。
 それに私、自分は歌が絶対下手だと思ってますもん。いつも、もっと上手だったら よかったのにって。ただ、自信はないけれど、伝えることはできるかなあとは思うんです。下手だからこそ、精一杯演じないと歌手でいられないから、伝えよう、伝えようって必死に訴えるわけですよ。
-後略-
(ⅱ)明菜の心の奥底には
唄表現の原点に
上記(ⅰ)のような渇望があるからこそ
演劇的表現が出来ると思っています。
(云うまでもなく 明菜の女優としての才能があるからこそ 演劇的表現も出来ると思っています)

●明菜ほど多種多彩な歌唱表現をする歌手は唯一無二だと思いますし
明菜ほど多種多彩な歌唱表現にチャレンジする歌手は唯一無二だと思っていますから
こんな歌手の存在価値を訴え続けたい想いがあって
この場所で書き綴っている訳です。

❹感覚的な美と精神的な美*(直接の感覚による美があるが、他方、直接感覚に依存せず 精神的に感じられる美もある)
ちなみに 私は上記❶~❸により 感覚的な美と精神的な美を感じて感動しています。
*美が感覚的に快であるだけならば、decadenceへ向かう力が強くなり 命の急激な滅びの危うさがある。
●上述❶~❹のような《仮想現実(virtual reality)の世界》を
いま生きている現実世界に そのまま持ち込んでいては
あまりに辛すぎる人生になってしまいますね?

そう云った訳で
《明菜の歌唱表現活動の奥底》に
以下のⅡで述べた《溢れ出る明菜の情念》を受け取って
ひとつの安らぎを感じ取っているのです

Ⅱ:《明菜の歌唱表現活動の奥底》には 以下の様な明菜の情念を感じてしまいます

ーはかない夢など見たくない
浅い酔いなど欲しくない

『火花散らす 今が欲しい
理性の支配をしりぞけ
火花散らす今の感覚が欲しい
《今》を生きている《現在の一瞬》の中で
生きていると云う感覚を
全身で体感できる時間を
生きる歓びを
感じていたい


身も心も
生き切った後で
《許される『美しい滅び』》となるように

美しく咲き終わった後で
《許される『美しい滅び』》となるようにー

Ⅲ:以下からは 私が書き綴りやすい歌詞・歌姿を選択して記述します

❶『 I hope so 』(作詞・中森明菜)について

GET ANYPLACE…HOWEVER
羽広げて
GET ANYPLACE…HOWEVER
見下ろせたら
こぼれた砂に埋めよう
わかり得ない傷跡
蜃気楼と笑える今なら


GET ANYPLACE…FOREVER
羽広げて
GET ANYPLACE…FOREVER
見下ろす今広がる空に投げよう
嘘ばかりの笑顔は
蜃気楼と消え去る未来へ
Go ahead and tell us really mean・・・・以下省略。

この歌はロックバラード。
ちなみに
バラードとは 以下の1. 2. の内容を指しています。
1. 自由な形式の民衆的小叙事詩。物語詩。譚詩(たんし)。
2. 音楽で、語り物的な歌。また、そのような内容・感情を器楽曲に移したもの。譚詩曲。
上述1. 2.からすれば
『 I hope so 』は
物語詩であり
《明菜の思いや感情》を楽曲に移したものであり
《明菜の思いや感情》を訴えるメッセージソングです。それは又 語り掛けるカタチになっています。

❷ 『Rojo-Tierra- 』(作詞︰川江美奈子・Miran:Miran ⇒Wikipediaによれば
"Miran:Miran"とは明菜のペンネーム)について

2014年大晦日のNHK紅白歌合戦、明菜は米ニューヨークのレコーディングスタジオから生中継で新曲『Rojo-Teirra-(ロホ ティエラ)』を歌唱した。
有名曲じゃないからダメだとか、《声量》が無いからダメだとか・・・・明菜批判の嵐。一般大衆は、いまだに明菜を《声量伝説》の範疇で聴こうとしているのだろうか?

もう、80年代の《声量》は 意図的に出さないのかも知れない。
その分だけ《明菜歌唱の独自性(=芸術性)》が強く出ている感じ。
《明菜の情念》と《歌唱》が《明菜歌唱の独自性(=芸術性)》を発揮していると思う。
今の明菜にこそ『難破船』を歌って欲しいと思うのは 私だけでしょうか?
『Rojo-Teirra-(ロホ ティエラ)』は《明菜流ブルース*》なのだと思う。

*そもそも「ブルース」とは
孤独感や悲しみを表現する独唱歌であり
悲しみや孤独の感情は
英語ではしばしば「ブルー(blue)」の色でたとえられることに由来している。
20世紀以降のポピュラー音楽に幅広く影響を与え
ジャズやロックンロールのルーツのひとつとしても知られている。

『Rojo-Teirra-(ロホ ティエラ)』は 《悲しみや孤独の感情》から脱出するために
ーMs. Una Tierra もっとそばに来て この腕に抱かせて
 生きているぬくもりを 肌が感じる
 熱い予感 終わりじゃない
 私たちは ひとりじゃない ーと訴えている訳であり
『Rojo-Teirra-(ロホ ティエラ)』は
単純な応援ソングのカタチではなく
私達の情念に向かって
直接に語り掛け励ます応援ソングであり
情念直結型のブルースだと思う。明菜流オリジナルブルースであると思う。
《声の揺れ方の感じ》が全て《*nuanceニュアンス》として聴こえてくる感じである。
ここで云う《*nuanceニュアンス》とは 《感情の微妙な意味合い・色合い・メッセージや、更にまた そのわずかな感情の差異などの表現》のこと。

更に又
明菜が歌う唄を聴いていると
マイクやスピーカーに乗り易く歌う《存在感のある声質》が凄いと思う。
演奏やハーモニーに絶対に埋もれない存在感が常時キープされていることの凄味。
声を張り上げる必要が無い、それと、メロディの歌い終わり(=語尾)の《nuanceニュアンス》が凄い。
柔らかく息を抜くところに フワッとこめられる繊細な《nuanceニュアンス》。


生の明菜が歌う立姿のなかで その顔の表情・歌う息遣い・その眼差し・その視線・その舞い姿など・・・・
舞台上で生の明菜が全身で唄の世界を演じる女優として 明菜ワールドを味わえば
明菜の歌唱世界を より深く味わう事が出来ます

既述したように ここで云う《*nuanceニュアンス》とは 《感情の微妙な意味合い・色合い・メッセージや、更にまた そのわずかな感情の差異などの表現》のことであり
こんな《*nuanceニュアンス》を含む歌唱力は
《声量》にではなく
上述のような素晴らしい《*nuanceニュアンス》の中に存在しているのです。
上述のような素晴らしい《*nuanceニュアンス》は 《明菜の歌唱の独自性(=芸術性)》であると考えています。
一瞬で世界観を完成させる歌唱力の凄味は 数値化されないのです。
一瞬で世界観を完成させる歌唱力の凄味は カラオケマシーンでは数値化されないし 高得点をあげられないのです。

音域が広くて、サビでは声量や高音域を必要とする楽曲が《高難易度曲》。そんな楽曲を選曲して歌えば、歌の巧さはたちまち《見える化》する。更に又 音程が機械的正確さで歌われれば カラオケマシーンでは数値化されて 高得点をあげられるのです。

けれども 歌う唄から溢れ出る情感は カラオケマシーンでは数値化されないし 高得点をあげられないのです。
「声が大きく出ているから巧い」と云うだけでは 測定器ように機械的なリスニングだ。
そんな《声量神話》と 《(注1)カラオケマシーンで高得点をあげられる機械的正確さの音程で歌われる唄》が 多くのリスナーの耳と感性を狂わせてきたと思う。ただし 云うまでもなく 上述(注1)は 溢れ出る情感がない《機械的正確さの音程で歌われる唄》を指しています。

ちなみに 《機械的正確さの音程》で歌うことばかりに精神を集中すると その唄には情感が含まれなくなり
さらに その唄には 《生っぽいgroove感=音楽に乗った状態。その曲のリズムや雰囲気などが気持ち良く感じられる状態》も含まれなくなり そんな歌は 私を感動させることが出来ません。

真っ当な歌手は 《リズムを揺らす歌唱法や声量の強弱・声質で作られるグルーヴ感》を目指します。明菜の場合はそうですよね?云うまでもなく 《リズムを揺らす歌唱法や声量の強弱・声質で作られるグルーヴ感》は カラオケマシーンでは数値化されないし 高得点をあげられないのです。

私は明菜のgroove感の虜になって 明菜ファンを続けています。

「ここ一発」の場面で《声量》を見せつける歌唱法だけでは 私を感動させることが出来ません。
そして、《声量神話》への盲信が「声量に依存しないシンガー」の評価を不当に下げてきたのではなかったか?

しかし、80年代の明菜もまた《声量神話》によって評価を与えらえた側面を否定できない。
明菜の《声量》は『DESIRE -情熱-』(1986年)によって最大限に誇示された。「♪Burning love~~~」で爆発する《ロングトーンの声量》がトレードマークだった。
一方、『難破船』(1987年)には
《声量》を押し殺した凄味があった。明菜は22歳にして《nuanceニュアンスの凄味》を獲得していたと云える。
当時の一般大衆は
明菜に「♪Burning love~~~」の《声量》を求め続けていたようだ。
しかしながら 明菜の場合
《ロングトーンの声量》であっても 上述のような素晴らしい《nuanceニュアンス》を含んでいたので
私を感動させることが出来たのです。

❸《声量伝説》の亡霊を振り払え!

《声量伝説》の亡霊を振り払えば
21世紀の明菜を
より深く理解できるとさえ思ってますが・・・
これ以上は云いません
多種多彩な歌唱表現をする歌姫明菜を
どんな風に受け入れるかは貴方次第ですから・・・

《自分の心の中の明菜物語》を書き綴るキッカケに感謝! higasi

2018/04/02 (Mon) 18:24:05

【《自分の心の中の明菜物語》を書き綴るキッカケ】

ゆらさんの《ゆら (@mizutawari19) | Twitter》は いつも楽しく見ています
ここで囁かれるコトバには 明菜愛が溢れてるし
ここで囁かれるコトバには 私もタジタジの明菜愛の深さが読み取れるからです
あ!他にもあります
ここでしか見れない《明菜の歌姿・明菜の眼差し・明菜の表情・明菜の普段のスナップ写真やsnapshotの動画等》を
いつも楽しく見ています

ここでは
明菜の普段の生活の香りも溢れているようです
ここで見た映像・ここで読み取ったコトバたち(⇒私が思うに コトバは ひとつひとつ命ある生命体だと把握してるので コトバたちと云ってます)
それら全ての情報を受け入れることで
私の心の奥から
詩情が溢れ出るキッカケが創られて
詩文のコトバたちが溢れ出て
このような《自分の心の中の明菜物語》を
具体的なコトバで書き綴ることが出来た訳であります

私自身
《自分の感情から生まれたコトバ》をつむいで
自分を表現し
そして日々を生きているとは云っても
具体的なコトバが溢れ出てこなければ
このような《自分の心の中の明菜物語》を
具体的なコトバで書き綴ることが出来ないからです

なぜ 私は 《自分の心の中の明菜物語》を書き綴りたいのか(その2) higasi

2018/04/02 (Mon) 11:36:25

Ⅰ:prologue前口上~つたない私の独り言~

心の奥からの叫びは
理性の圧力で押しつぶされていて
今と云う一瞬を生きている実感を感じられなくて
刹那の快楽で解消しようとするけれど
残るのは虚しい心だけ

生きている実感に飢える日は
刹那の快楽を食べる
快楽を食べることを責めないで
「純粋」を食べることを責めて下さい

純粋は
この世でひとつの病気です

「純粋」に犯されれば
自分を滅ぼす「病気」に陥ってしまう
〈哀しさを捨てられぬ純粋な心〉の病気

Ⅱ:なぜ 私は 《自分の心の中の明菜物語》を書き綴りたいと思うのでしょうか?(その2)

昨夜
夢のなかに
亡くなった母と父が出てきて
今日は
一日中しんみりした気持になったのですが
そんなときは 
よけいに
明菜の歌を聴きたくなってしまいます

私は
《自分の感情から生まれたコトバ》をつむいで
自分を表現し
そして日々を生きているのです
明菜が表現する世界は
そんな《私の心の奥》に入り込んできます
そして
私の心を癒してくれるのです

Ⅲ:【私の明菜物語~歌詞・歌唱法・歌唱姿のイメージから書き綴る明菜物語~】(その2)

悲運な出来事があり
感情の起伏の激しさゆえに
自殺未遂を起こすこともありましたが
一方で
感情の起伏の激しさが
明菜の素晴らしい感受性の源泉となって
明菜を「歌姫」にしたとも言えるのです

明菜が歌うとき
なによりも歌の深さが違います
コトバに陰影があり
聴く者の胸に
激しく迫ってくるのです
そこに
明菜の感受性の輝きがあります
そこに
明菜の歌唱表現の輝きがあります

年をとって
みずからの人生をふり返ると
明菜が「難破船」で歌いあげるような世界は
確かに
私たちのなかにあると思うのです
私たちは
そのなかで
人知れず《生きる哀しさ》に涙するのです

恋は
《metaphor比喩》にすぎません
《恋の哀しさのカタチ》で
《生きる哀しさ》を訴えています
《恋の哀しさのカタチ》で
情感あふれる《人生の哀愁》を訴えています

過ぎ行く時の流れの中で・・・
歌姫明菜の躰と心のカケラが
夜空から舞い落ちる雪の花びらとなって
歌姫明菜の剥(む)きだしの魂の
激しさが哀しい
歌姫明菜の剥(む)きだしの魂の
健気さがいとしい

なぜ 私は 《自分の心の中の明菜物語》を書き綴りたいのか higasi

2018/03/22 (Thu) 04:03:38

Ⅰ:なぜ 私は 《自分の心の中の明菜物語》を書き綴りたいと思うのでしょうか?

 さて
 明菜ファンの皆様
 ひそかに春の気配が感じられる今日この頃
 いかがお過ごしでしょうか?
 ・・・と皆様に挨拶文を述べている最中に
 突然
 春の雪ならぬ真冬の寒さを感じさせるように
 牡丹の花びらのような雪が降りはじめて・・・
 今日の今
 ふと思い立って 以下のⅡの様な私の想いを書き綴りたくなりました
 お暇の折に 目を通して頂ければ 幸いです

ところで
なぜ 私は
《自分の心の中の明菜物語》を書き綴りたくなったのでしょうか?

正直に申せば
私の元気に生きられる余命が
多く見積もっても
たかだか七年余りであると気付き始めたからであります
とは言え
別に医者から余命を宣告された訳ではありませんので
心配は無用です
平均寿命から見て
そんな風に感じているだけであります

もう一つの理由は
明菜ほど多種多彩な歌唱表現をする歌手は唯一無二だと思いますし
明菜ほど多種多彩な歌唱表現にチャレンジする歌手は唯一無二だと思っていますから
こんな歌手の存在価値を訴え続けたい想いもあるからです。

もう一つの理由は
言うまでもなく
私が明菜ファンを続けているからであります。

Ⅱ:【私の明菜物語~歌詞のイメージ・歌唱法や歌唱姿のイメージから書き綴る明菜物語~】

1:過ぎ行く時の流れの中で ・・・・

雪の花びらが
夜空から舞い落ちて
深い森を包み込んでいく

過ぎ行く時の流れの中で
明菜の躰と心のカケラが
夜空から舞い落ちる雪の花びらとなって
明菜の剥(む)きだしの魂の
激しさが哀しい
明菜の剥(む)きだしの魂の
健気さがいとしい

2:明菜独白(⇒後段ー -内の既述に 前段= =内の歌詞イメージの明菜独白を追加しました)

=落ちてく花びらの気持ちが解る
 もがく重みさえも忘れ
 目をいっぱいに見開いて立っていた

 流れる水のように
 私を どこか遠くに運んで

 うれしい時も悲鳴上げる
 いま あなたを知ることが
 生きている証

 孔雀みたいな満天の星
 あなたの瞳に映る私
 息が触れると
 心を刺す棘が
 ひとつずつ消えていく
 生命の河の水にゆだねた
 木の葉の舟みたいに

 邪険な時を忘れさせて
 もう昨日までの私
 反古にしてもいい

 うれしい時も悲鳴上げる
 いま あなたを知ることが
 生きている証

 自分のこと
 愛せる強さを身につけて
 涙の川に墜ちて
 還らぬ人にならないで

 窓の外は冷たい
 痛みを感じられる心だけが温かい=

ー汚れてしまった悲しみに
 冷たい風が 吹き付けて
 死にたいと思った時も
 ありました

 それでも
 必死に 歌っていたら
 唄が
 私を照らす光になりました
 唄が
 闇の中で輝きました

 辛いことが
 あったけれど
 歌っていて
 本当に良かったよ

 だから
 みんなも
 くじけないで
 二度とない人生だからー

3:明菜は何故 憑依系の歌手と云われるのか?

憑依というと
悪いイメージを想像する人が
いるかもしれないけれど
プラスの面も沢山あります。
憑依系性格のヒトは
感受性が優れているので
インスピレーションをキャッチしやすく
芸術家や様々なジャンルの仕事で
”イメージが降りてきた”と云う感覚になるのは
感受性が
敏感で繊細で
素晴らしいからです。

一般の労働者に比べれば
優れた芸術家(=表現者)の中には
“憑依系性格”と云われる人が
沢山いると思います

役者や芸人が役に入り込む。
作家が主人公になりきってドラマを描く。
自分の中に
ドラマの登場人物が憑依しなければ
健全な一市民である役者が
殺意や狂気を表現することも
出来ないだろうし
自分の中に
唄の主人公が憑依しなければ
歌手が
《心の奥の渇望》が溢れ出るのを止められず・・・
こらえきれずに
涙を浮かべ
両目から
涙が滴り落ちるような表現をすることも
出来ないだろうし
自分の中に
小説の登場人物が憑依しなければ
小説家が
性別や時代や国籍を軽々と超えて
2、3人以上の登場人物の性格を描き
2、3人以上の登場人物に会話させたり
2、3人以上の登場人物に行動させたり
出来る筈がないのです

憑依から生まれる表現は心に響く。
自分に向かってくる『生々しい声』は
心の奥に届くのである

4:「空想傾向」(fantasy proneness)にある明菜の感受性は
素晴らしく繊細で
素晴らしい『感度(=刺激に対して感じる度合)』を持ち合わせているために
たとえば
明菜が
自分の歌う《唄の心》を
読み取ろうとしてるうちに
まるで
歌う唄の《登場人物の人格》が
明菜自身に憑依してきて
それに同化してしまって
明菜の歌唱表現が
演技や想像では到達出来ないような
生々しい歌唱表現をすることで
観客は
胸元をわしづかみにされ
明菜worldへ
ぐいぐいと引き込まれてしまう・・・
そこにはもう
まるで
創作と現実の境界がないように感じてしまうほどです

5:LIVE TOUR 2006~The Last destination~DVD版の『赤い花』に奥深い感動を感じた理由を述べれば
そのLIVEの舞台上において
歌姫明菜は
『赤い花』と云う歌を歌唱する姿によって《仮想現実(virtual reality)の世界》創造している

歌姫明菜は
歌い始めると
舞台上の明菜となり
仮想現実(virtual reality)世界を創造する歌手となる
歌姫明菜は
舞台上の仮想現実世界で生きている

さて
舞台上で
『赤い花』の歌を歌唱する姿に
以下の様な訴えを感じ取り
明菜worldに引き込まれてしまうのです

ーひとりきりになってから
 両手で 愛を掬い上げようとしても
 指の間から こぼれ落ちていく愛がありました

 《『狂おしい渇愛』から 
 『滴り落ちる赤い血』で
 真っ赤に染まった『愛のカケラ』の
 ひとひら ひとひらが
 宙を 舞いながら
 さまよっています

 あのひとが立ち去ってから
 あたしに残っているものは
 光さえも 呑み込む砂漠のような気持ち
 あたしの心は泣き叫ぶけれど
 こんな乾いた世界じゃ どんな声も響かない

 せめて今は
 愛してくれたことを 嘘だと教えないで
 せめて今は
 あたしを いっそ切り裂いて
 何も感じないほどの 傷をつけて去っていってよ
 あたしの体と心に
 《あなたが愛してくれた証拠》を刻んでほしいから・・・


 最後の涙を あなたにあげましょう
 赤い愛の花が 溶けるまで
 せめて 見届けさせて
 二度と咲かない愛の花だから・・・・
 真っ赤に染まった『愛のカケラ』の
 ひとひら ひとひらが
 溶けて無くなってしまうまで 見守りたいとおもうから・・・・

 滅びゆく前の
 一瞬一瞬の『今の愛』を
 閉じ込めたまま
 永遠の眠りの中で
 美しく死なせて
 二度と咲かない愛の花だから・・・・

ー『狂おしい渇愛』から 
 『滴り落ちる赤い血』で
 真っ赤に染まった『愛のカケラ』の
 ひとひら ひとひらが
 宙を 舞いながら
 さまよっているけれど
 『非情な時の流れ』の中で 
 真っ赤に染まった『愛のカケラ』の
 ひとひら ひとひらが
 舞い落ちて 土のなかに埋もれ 
 朽ち果ててしまいます
 狂おしく あがいても 
 『こぼれ落ちてゆく愛』になるのだから・・・・

そうであるからこそ

ーめぐりあう 偶然は
 優しさにも ナイフにも変わる

 耐えられぬ いたみでも
 どうしてなの 追いかけてしまう

 ねぇあたしをいっそ切り裂いて
 何も感じないほどの 傷をつけて去っていってよー


ー愛を手に入れようとしても
 こぼれ落ちてゆく愛があって
 こぼれ落ちてゆく愛の
 《哀しさ・切なさ・虚しさが混ざり合った『痛々しくも狂おしい渇愛』の情念》は
 《痛々しくも狂おしい『求愛』の叫び》であって
 歌う明菜の『息遣い』や『溜め息』や『ささやき』に
 歌う明菜の『顔の表情』や『身のこなし』や『眼差し』に
 《痛々しくも狂おしい『求愛』の叫び》の『情念表現』が溢れ出ているーと感じてしまうのです
 『痛々しくも狂おしい渇愛』と
 《痛々しくも狂おしい『求愛』の叫び》には
 《限りなく重い『哀しさ・切なさ・無常感』》が溢れています

 ●明菜ほど、性愛について《内面世界に奥深く入り込んだ表現が出来る歌手》はいないのです

 しかしながら
 上述5のような《仮想現実(virtual reality)の世界》を
 いま生きている現実世界に持ち込んでいては
 あまりに辛すぎる人生になってしまいますね?

 そう云った訳で
 《激しく訴える歌唱法の歌詞の奥底》に 
 以下の6で述べた《溢れ出る明菜の情念》を受け取って
 ひとつの安らぎを感じ取っているのです

6:《激しく訴える歌唱法の歌詞の奥底》には 以下の様な明菜の情念を感じてしまいます

ーはかない夢など見たくない
 浅い酔いなど欲しくない

 『火花散らす 今が欲しい
 理性の支配をしりぞけ
 火花散らす今の感覚が欲しい
 《今》を生きている《現在の一瞬》の中で
 生きていると云う感覚を
 全身で体感できる時間を
 生きる歓びを
 感じていたい


 身も心も
 生き切った後で
 《許される『美しい滅び』》となるように

 美しく咲き終わった後で
 《許される『美しい滅び』》となるようにー

7:epilogue後書

以上 私の感受した《とりとめのない独断的な内容》を書き綴りましたが
明菜ほど多種多彩な歌唱表現をする歌手は唯一無二だと思います。
それだからこそ 明菜ファンの方々の感じ方も多種多彩であると思います。
そしてまた
明菜ほど多種多彩な歌唱表現にチャレンジする歌手は唯一無二だと思います。

ワーナーLP発売 - Return

2018/01/30 (Tue) 01:45:28

はじめまして、Returnというものです。
(isojinさんのサイト末期に投稿してました。)
今日知ったのですが、昨年中止になった、
ワーナーのLP再発売が、5月から発売
になるようです。
180g盤で一枚4000円@amazonが18枚。

リターン組なので、昨年ヤフオクで全部揃えてしまったのに。。。
困った。
マスターは手持ちのSACD盤と同じかな?

Re: ワーナーLP発売 - Return

2018/01/30 (Tue) 01:57:09

自己レスすいません。
4万円が相場のCruiseは持ってませんでした。
あと、当然BESTIIIも持ってないですね。
この2枚は絶対購入。

明菜の《歌表現活動の源泉》&《ミュージカル表現》 higasi

2018/01/20 (Sat) 00:53:03

Ⅰ:【明菜には なぜ溢れ出る感受性があるのか?~《明菜の歌表現活動の源泉》~】

①そもそも、「空想傾向」(fantasy proneness)とは、米国の心理学者、WilsonとBarberが発見した、ファンタジーfantasyにのめり込みやすい性格のことです。

《ストレスのかかる体験を沢山して、それを深く感じ取りすぎる人》は、「空想傾向」(fantasy proneness)になりやすいと思います。かく申す私がそうでした。

②「空想傾向」(fantasy proneness)が続いているときは
  感受性の扉が開きやすく
  表現したいもの(⇒外に吐き出したいもの⇒空想)がすでに心の中にしっかり存在しているので
  表現する方向性が捜しやすいと思います。
  このように、「空想傾向」は感受性と関連していて、表現活動の源泉になると思います。

③明菜さんの場合も、ストレスのかかる体験を沢山して、それを深く感じ取りすぎたので、「空想傾向」(fantasy proneness) になりやすかったと思います。

「空想傾向」(fantasy proneness)が続いているときは
感受性の扉が開きやすく
表現したいもの(⇒外に吐き出したいもの⇒空想)がすでに心の中にしっかり存在しているので
表現する方向性が捜しやすいと思います。

このように、「空想傾向」は、《明菜さんの溢れ出る感受性の原因》となり
《明菜さんの歌表現活動の源泉》になっていると推測します。

④自分の内なる声と対話し
  抑えられない表現衝動によって
  自分が掴んだ唄の心を
  具体的なカタチで表現するとき
  唄の奥にある《気分・感情・情感・メッセージなど》が
  視聴者に伝わって来るのです

⑤プロの表現者には
  誰かに伝えたくて
  誰かに届けくたくて
  自分が望む表現を
  具体的なカタチで表現したい欲求がある

  自己実現とか
  重要性を知らしめるとか
  そんなレベルではなくて
  ただ表現する、ということに
  渇望している瞬間に
  素晴らしい表現が産まれる

  表現活動は
  孤独な作業である
  自分の内なる声と対話し
  抑えられない表現衝動によって
  表現活動が継続できる

  コトバで表現したいのならば
  コトバを選び
  唄で表現したいのならば
  歌唱表現を選び
  自分の内なる声と対話し
  抑えられない表現衝動によって
  ただ表現する、ということに
  渇望している瞬間に
  素晴らしい表現が産まれる

⑥:上述④⑤は 上述①~③と云う《明菜の歌表現活動の源泉》から溢れ出るものであります

Ⅱ:【明菜worldにおいては 明菜の唄表現の原点と明菜の女優の才能は 密接に繋がっている】

以下に
私が何故そのように考えるのかについて
その根源的な理由(①~③)を述べます

①SAY 2003.7 スペシャルインタビュー で明菜は次のように答えている。

私、小さい頃から、歌は「演じるもの」だと思っていました。その気持はデビュー以来、ずっと変っていません。歌は3分間のドラマだから、私は歌に出てくる主人公を演じ切らなきゃいけないんだって。

それに私、自分は歌が絶対下手だと思ってますもん。いつも、もっと上手だったらよかったのにって。ただ、自信はないけれど、伝えることはできるかなあとは思うんです。下手だからこそ、精一杯演じないと歌手でいられないから、伝えよう、伝えようって必死に訴えるわけですよ。
-後略-

②:明菜の心の奥底には
唄表現の原点に
上記①のような渇望があるからこそ
以下の様な演劇的表現が出来るのです

具体的に述べますと
『ステキな恋の忘れ方(DVD)』を視聴していると
たとえば
まるで
寝姿から目覚めたばかりの明菜が
寝姿から少しずつカラダを持ち上げたり
顔を持ち上げたり
寝姿のカラダをあちこちに動かしながら
まるで自分に向かって
あなたは どう感じる?
あなたは どう想う?と
問い掛けたり
語り掛けたりしているように感じてしまって
寝姿から目覚めたばかりの
明菜の顔の表情に
寝姿から少しずつカラダを持ち上げる姿に
妖艶な美しさがあって
歌っている最中でも
寝姿の体全体を
妖艶に動かしながら
その顔の表情 その眼差しで
ジーッと見つめらているように感じて
目で訴えて来るように感じて
艶めかしく動く姿は
男を惑わすような妖しい美しさを醸し出しているけれども
決して低俗な肉感的表現に陥ることがない

更に又
『ステキな恋の忘れ方』の
歌唱映像を観ていると
この唄を歌う直前に
明菜の口元が
声もなく何か呟くように動くのが
見えてきますが
その《声のない呟き》については
まるで
この歌詞の最後のフレーズの
『眠らせて~』と呟いている様に
聴こえて来るのです

明菜が
この歌詞の
最後のフレーズで
『眠らせて~』と歌うとき
その声に
細かい息遣いや声の震えなども
感じてしまって
まるで
その『ため息を漏らすような声の震え』に
ー滅びゆく前の
一瞬一瞬の『今の愛』を
閉じ込めたまま
永遠の眠りの中で
美しく死なせてー
と云う渇望を感じ取ってしまうのです

すなわち、『ステキな恋の忘れ方(DVD)』を視聴していると、《生身の明菜の唄表現は、明らかに演劇的表現そのもの》である。これこそが《明菜の存在価値を証明している》と断言したいくらいだ。
このような演劇的表現力は、『ステキな恋の忘れ方(DVD)』で、以前よりも明らかに進化している。このような演劇的表現力は、以前よりも、きめ細かくなり、多彩になり、明らかに進化している。
《寝姿からの表現》に、明菜の《新しいパフォーマンス》を感じ取りました。(上述②は 文脈上必要なので レビュ―コーナーで既述した箇所があります)

③Musica Fiesta Tour 2002 (DVD)の中で
特に『 MISSED U』『Siesta ~恋のままで~』『CARNAVAL』『CARMESI 』『 The Heat ~musica fiesta~』では
明菜worldのミュージカル表現が
明菜の《女優の才能》と《歌唱表現力》と《自己演出力》などで 支えられている
すなわち
『感情や意志を示す身体の動きや身のこなしとか
顔の表情や歌唱表現や衣装だけではなく
舞台装置・照明・楽器編成・音響なども(総合的に)』用いて
LIVEの効果をあげようとしている

明菜の歌唱表現の変遷 higasi

2018/01/13 (Sat) 02:45:03

【私が選択した各LIVEの歌について 『明菜の歌唱表現の変遷』を 書き綴る事にします】↓ 

Ⅰ:'97felicidad LIVE『難破船』の歌姿から 特に感じ取れることは・・・・
 ❶まるで
  『壊れてしまいそうな儚いガラス』のようで
  その『粉々に滅びゆく瞬間』が
  限りなく輝いていて
 けれど
  愛を手に入れようとしても
  こぼれ落ちてゆく愛があって
  こぼれ落ちてゆく愛の
  《哀しさ・切なさ・虚しさが混ざり合った『痛々しくも狂おしい渇愛』の情念》は
  《痛々しくも狂おしい『求愛』の叫び》であって
  歌う明菜の『息遣い』や『溜め息』や『ささやき』に
  歌う明菜の『顔の表情』や『身のこなし』や『眼差し』に
  《痛々しくも狂おしい『求愛』の叫び》の『情念表現』が溢れ出ているーと云うことであります

  『痛々しくも狂おしい渇愛』と
  《痛々しくも狂おしい『求愛』の叫び》には
  《限りなく重い『哀しさ・切なさ・無常感』》が溢れています

 ❷明菜は歌い終わるとき
  自分の立ち姿を
  まるでストップモーション(静止画)のようにして
  観客にアピールする
  それは
  例えば 歌舞伎の決め姿のように
  かっこいい美しさを醸し出す

Ⅱ:さて、2003 I Hope so LIVE(DVD版)の楽器編成は↓

男性奏者が
グランドピアノ・電子ピアノ(電子ピアノの上杉さんがアレンジ担当で、バンマスも担当。この人のアレンジの力量には 感心している。)・エレキギター・普通の《❶(注)ベース》・❷ドラムセット。

❶:《(注)ベース》:《エレクトリックベース(electric bass、エレキベースとも)は 低音部の『撥弦楽器[=指先・爪・撥(ばち)等で弦をはじいて奏する楽器]』である。日本では「エレクトリックベースelectric bass」と略さずに呼ばれることは少なく、エレキベース、電気ベース、あるいは単にベースと呼ばれる。

女性奏者が
観客席から向かって、右側から左側にかけて、チェロ・ビオラ・バイオリン(クラシックの呼称では、観客席から向かって左側が第1バイオリン、右側が第2バイオリンと云う記憶がある。)

そしてまた
2003 I Hope so LIVEはバラード中心のLIVEでした。

●さて明菜のLIVEの楽器編成には
低音部の撥弦楽器❶《(注)ベース》が必ずと云っていいほど取り入れられ
❷ドラムセットも必ずと云っていいほど取り入れられている

明菜の歌唱曲においては
❶《(注)ベース》❷ドラムセットを取り入れることで
❸ドラムスによるリズムが 曲の全編を通して明確に刻まれているような『ミディアム・テンポ(=Moderato(モデラート、中ぐらいの速さで。=ミディアムテンポ)』のポップスも、編曲が比較的静かで、美しいメロディラインや《(注1)感傷的な歌詞》を特徴とする場合は、バラード曲と呼ばれる傾向が強まっている。

←(注1)ただし明菜の場合 《感傷的な歌詞》であっても、《『抒情性』を含む歌詞=上述Ⅱー❸&上述Ⅰー❶》を特徴とする場合 私は バラード曲だと考えています

そしてまた
❶《(注)ベース》が ドラムスによるリズムを助け
曲の全編を通して リズムが心地よく刻まれる効果を上げている

●時には
その心地よいリズムが ジャズ風味のリズム感を醸し出して
ジャズっぽい歌唱も生まれ
ジャズバラードとなり
手拍子さえも生まれる

Ⅲ:1995年のTRUE LIVE『予感』には
上述Ⅰー❶のような《抒情性》があって、《生々しい情感》が溢れ出るような、明菜流ファルセットやハスキーなウィスパーというか、明菜流ささやき歌唱表現がある。

たとえば、『予感』の歌詞には、
 >どんな 言葉でも構わない
 >答えを下さい
 >もう疲れたの

とありますが、
どんな言葉でも良い訳は無いのです。
聞きたく無い言葉だってあるのです。
けれども、それにすら言及出来ない程に、不安で弱くなってしまった心。
絶望、孤独、諦観、けれども、一縷の望を捨てきれぬ心。
《このように揺れ動く情念の 次から次へと移り行く生の姿》をそのままに感じ取れるのは
1995年TRUE LIVE『予感』の歌唱法である。

●さらにまた、1995年TRUE LIVE『予感』には、以下のような演劇的表現が溢れ出ている

 明菜は歌っている最中で
 歌詞に潜む『情念や感情の差異』を
 歌詞のフレーズごとに読み解き
 その顔の表情、その一挙手一投足、その舞う姿で演じながら
 更に又
 歌詞に潜む『情念や感情の差異』を
 『歌唱法の差異』で表現することによって
 観客に訴えつづける

明菜は歌い終わるとき
自分の立ち姿を
まるでストップモーション(静止画)のようにして
観客にアピールする
それは
例えば 歌舞伎の決め姿のように
かっこいい美しさを醸し出す

明菜が歌うとき
哀しくて儚い愛の唄でも
お涙頂戴にならない
さらにまた
明菜の歌う唄には
細かい息遣いや声の震えなども
感じるのです

Ⅳ:2003 I Hope so LIVEの『予感』では
どちらかと云えば、クラシカル(classical)な歌唱法で、遠くを見つめるような視線のなかで、《一つの遠い思い出》を歌っているように感じ取れる歌唱法である。

TRUE LIVEでの『予感』に比べれば、I Hope so LIVEの『予感』では、
《さまざまな感情が入り乱れた胸に訴え掛ける直情的な生の情念》と云うよりも、
取り戻せない《一つの過ぎ去った思い出》として、
こぼれ落ちてゆく愛があって
こぼれ落ちてゆく愛の
悲しみや切なさが
深みある情緒の表現として溢れ出ている。

Ⅴ:'97felicidad LIVE『駅』は、
《生々しい情感》が溢れ出るような、明菜流ファルセットやハスキーなウィスパーというか、明菜流ささやき歌唱表現である。
《揺れ動く情念の 次から次へと移り行く生の姿》をそのままに感じ取れる。

Ⅵ:2003 I Hope so LIVE『駅』では、
どちらかと云えば、クラシカル(classical)な歌唱法で、
遠くを見つめるような視線のなかで、《一つの遠い思い出》を歌っているように感じ取れる歌唱法である。

'97felicidad LIVE『駅』に比べれば、I Hope so LIVEの『駅』では、
《さまざまな感情が入り乱れた胸に訴え掛ける直情的な生の情念》と云うよりも、
取り戻せない《一つの過ぎ去った思い出》として、
こぼれ落ちてゆく愛があって
こぼれ落ちてゆく愛の
悲しみや切なさが
深みある情緒の表現として溢れ出ている。

Ⅶ:2003 I Hope so LIVE「Blue On Pink」は、
felicidad’97よりも、少しスローテンポにしていて、
出だしから電子音が一定のリズムを刻んで、弦楽器の演奏はfelicidad’97よりもクラシカルである。
照明も素晴らしくて、演劇的感情表現をみると、
明菜の左手の動きが、まるで観客を包み込むような仕草をしながら、遠くを見つめる視線で、遠い思い出を歌うような姿に思えて、felicidad’97よりクラシカル(classical)な歌唱法である。

Ⅷ:felicidad’97の「Blue On Pink」では、
2003 I Hope so LIVEよりも、ハイテンポで、ジャズ風味的リズミカルな演奏に乗りながら、顔の表情・一挙手一投足・アイコンタクト(eye contact)等の演劇的感情表現が、2003 I Hope so LIVEよりも多彩である。

Ⅸ:2003 I Hope so LIVE「SOLITUDE」 は、
felicidad’97よりも、スローテンポにしていて、バイオリン中心のクラシカル(classical)な演奏で、演劇的感情表現を見ると、左手の動きは、まるで、楽器の演奏を指揮しているようであり、歌う最中の立ち姿の向きを、一つ一つ区切るように、歌詞のフレーズごとに回転してゆく動きは、歌唱のリズム感と一体になって、まさに、演劇的感情表現の素晴らしさに感動しました。

さらにまた、 あまりにもか細く呟く「SOLITUDE」や「I'm telli'n you」などの言葉が、切々と私の耳を震わせて、クラシカル(classical)な弦楽器のアレンジで、よりいっそう心を揺さぶられました。

明菜の歌声が、まるで、一つの楽器の様に思われて、よりいっそう心を揺さぶられました。そして、 あまりにもか細く呟く「SOLITUDE」や「I'm telli'n you」などの言葉の後の口元にも、例えば カッコいい歌舞伎の決め姿のような女の美しさを感じるのです。

メロディラインに明菜の美しい歌声が重なると、メロディは色付けされ、明菜の発声の美しさが際立つ・・・という相乗効果が生まれている。

Ⅹ:felicidad’97の「SOLITUDE」では、
2003 I Hope so LIVEよりも、ハイテンポで、ジャズ風味的リズミカルな演奏に乗りながら、顔の表情・一挙手一投足・アイコンタクト(eye contact)等の演劇的感情表現が、2003 I Hope so LIVEよりも多彩である。

サックス(saxophone)の伴奏がジャズ風のリズム感を溢れさせている。明菜の歌唱もジャズ風のリズム感を溢れさせている。思わず手拍子が入るほどのジャズ風リズム感が溢れている。

なぜ生楽器演奏の価値を訴えるのか? higasi

2018/01/12 (Fri) 22:52:43

 
【私は 何故 いまさら生楽器演奏の価値を訴えるのか?⇒特にオリジナルアルバム『明菜』の場合】

●音楽業界の寒い冬は なかなか《春の陽射し》が見えずらい状況・・・・と知りつつも 
歌の伴奏楽器として 生楽器演奏が今より多く採用されていれば 
曲自体のgroove感も増加し 
ひとつひとつの楽器の音色も楽しめるし 
明菜の繊細な歌唱表現も聴きとりやすくなるし・・・・などと愚痴ってる今日この頃です。

私は《*DTM》を全否定してる訳ではありません。
明菜の歌唱表現のために必要不可欠な音楽表現については
《生楽器演奏では出せない音色・生楽器演奏では出来ない音程やリズムの機械的正確さ》が
その音楽表現のメロディー・リズム感に必要不可欠であり
かつまた 明菜の歌唱表現を阻害しないならば DTMを認めると云う立場であります。

①そもそも 《*DTM》とは「デスクトップミュージック」の略で、要するに コンピューター上の様々な楽器の音源で作られるサウンドです。DTMにおいては 音程やリズムが 機械的正確さで出せる。代わりに《生っぽいgroove感》が消えやすい。

②ところで ひとつひとつの生楽器演奏では 《臨場感や微妙な空気感》を 一つ一つの生楽器で個々に演奏する事が出来ます。
ひとつひとつの生楽器演奏では 《groove感=音楽に乗った状態。その曲のリズムや雰囲気などが気持ち良く感じられる状態》が 一つ一つの生楽器演奏で 個々に演奏する事が出来ます。

③人間が演奏すると、どうしても 《(注1)メトロノーム》が打つ正確なポイントからリズムがズレてしまいます。
それが独特のうねりとなり、特有のグルーヴになっていくのです。
具体的に解説していきますと、グルーヴ感というのは、バンド演奏者単位で 独特のグルーヴ感を作るのです。

④《個人個人の演奏の揺れ》が合わさって、独特のグルーヴ感を作るのです。
たとえば、最初に流れてくるギターの人と、ドラムの人のリズムを基点にしてグルーヴ感が形造られる場合 ギターの人が大きく*タメたり、*ツッコんだりするとバンド演奏者全体も一緒に揺れていくのです。
*タメる、ということは、メトロノームより後ろノリで演奏することです。
*逆に、ツッコむ、ということは メトロノームより前ノリで演奏することです。

⑤《(注1)メトロノーム》というのは、正確なリズムを刻む目印のようなものなのですが、実はこのメトロノームが鳴っている中にも自由度が含まれています。
《(注1)メトロノーム》が刻むチーンという音の中でも、鳴り始めてから鳴り終わるまでの間は、ある程度演奏出来る人なら かなり長くあります。
《(注1)メトロノーム》が鳴らす「チーン」という音を、わかりやすく解説する為に「ち」「い」「ん」と三分割します。
すると、「ち」で音を鳴らすと《前ノリ》に、「い」で音を鳴らすと《ジャスト》に、「ん」で音を鳴らすと《後ろノリ》ということになります。
《歌手が歌うリズム》と《ドラムのリズム》を中心にして、他のパートの《ひとつひとつの生楽器演奏》が絡んで独特のグルーヴ感を作っています。
どんなにリズムがズレていっても、大事なところは全員がしっかりと合うので、それが《ダイナミックな印象⇒グルーヴ感←臨場感や微妙な空気感》を生んでいます。
リズムを揺らすことよりも《音の強弱・音色の違いや音数で作られるグルーヴ感》もあります。

⑥真っ当な歌手は 《リズムを揺らす歌唱法や声量の強弱・声質で作られるグルーヴ感》を目指します。明菜の場合はそうですよね?

⑦グル-ヴ感、これが一番厄介なのです。
一般的にはよく「ノリ」と説明されてます。
リズムを刻むときに、正確な拍に対して、あえて刻みを微妙に早くしたり(クう)、微妙に遅くしたり(タメる)することがあるんですね。
それはその人のクセの場合もあります。
例えばドラマーが 正確な拍よりもタメて叩いたりします。
このときに生まれるリズムのうねりみたいなものがグルーヴです。
で、グルーヴ感とは、タイムを同期しつつ、あえて(もしくは無意識的に)、このグルーヴを生み出す感覚です。
グルーヴ感のある音楽は同調しやすく、聴いていると自然に体を動かしたくなります。

⑧これはフィーリングであって、個々のクセでもあるので、人によって違い、正解がないんです。
テンポ感やリズム感は個々のクセでもあるので、人によって違い、正解がないんです。

⑨この文脈内容から云えば 私は明菜のgroove感の虜になって 明菜ファンを続けています。

2017DS CLUB NIGHTレポ - ama

2018/01/02 (Tue) 21:21:00

長野、宇都宮に参加しました。強く感じたことを少しばかり・・
(1)ビジュアルが美しすぎる!
メークによるものもあるとは思うが、年齢を感じさせない若さと輝きに心がときめいた
(2)分厚い歌唱が復活している!
一部、二部とまったく趣の違う楽曲をそれぞれに深い表現で歌い上げた歌唱はやはり只者ではないと実感。
歌唱については、「Belie」のときに感じた希望と安心感が再び裏付けされた気分だった。

<おまけ>
このところ、若い気鋭の作家を作品を採用しているのは、自分自身の歌唱の鮮度を保つという意味でもある程度納得できるが、深みという面で物足りない部分もあるので、できることなら、ベテラン作家の人生の深みを感じさせるような楽曲も取り上げていってもらいたい。


Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.